思い立って、みなとみらいで開催されている
イベントに参加。
その足で、横浜卸売市場近くの「西湖亭」でランチ。
看板メニューの焼売、チャーシュー、餃子の他
ビール大瓶三本と紹興酒小瓶6本を痛飲。
まさに休日昼間の鯨飲馬食。
シメの汁なし油そば。
ちょっとカロリーを取り過ぎたので
外に出てそぞろ歩き開始。
一帯は運河と年季の入った建物が並ぶ。
某有名芸能人の実家海苔販売店も元気に営業中。
全国の海苔の名産地から取り寄せたものを
味付けにしたり素焼きで販売中だった。
意外だったのは、今でも東京湾で海苔が取れていて
一部そういう商品を置いているんだとか。
帰宅した後で、東京湾で取れた海苔を買っておけばよかったと少し後悔。
一坪あるか、ないかのバラック。
どんな商売をしていたか不明であるが
後から設置されたであろうガードレールのサビ具合からして
営業しなくなってから10年以上は経過しているだろうか。
今業績拡大中の「業務スーパー」の先輩格
プロの食材「ヨコカン」。
ヨコカンから少し北に住宅地の中を歩くと
神奈川台場の跡を発見。
台場があるということは
当然海防のための施設ということで
出来た時点ではこの界隈は海岸線
もしくは海中だったということになる。
マンションを作ろうとしてこういうのが地下から出てくると
とたんに開発が中断されるので厄介ですな。
界隈を切れた電線を持って徘徊されていた地元の紳士に
話しかけると、なかなかの味のある江戸弁で
「この辺は昔全部海だよ。あっちこちでタワマンの工事して
した掘り返してるよ。あっちのほういってみ」とのこと。
なかなかいい感じの路地。
昭和の香り充満。
必ずこういう路地にはネコがうずくまっています。
何でだろう。
勝海舟が作ったといわれる台場の石垣も
すっかり生活の中に溶け込んでおります。
どこまでが私有地でどこまでが国有地か
ここまでくれば分かりません。
その昔、コーヒー豆を輸入しここで荷揚げして
全国各地に送り出していたとか。
今でも現役のようです。
昔の刑事物のドラマでは、追い詰められた悪役が
倉庫の中で打たれたり海に落ちたりするところでしょうか。
ああいうシーンは大体舞台は芝浦だったかな。
何やら視界が開けてきて
ねずみ色の軍用タグボートが甲羅干し中。
第7艦隊が戦時編制になったら総動員なんでしょう。
この直後、米軍ゲート越しに撮影しようとしたら
中にいる守衛から「Go Ahead!」的なジェスチャーをされました。
一瞬、拘束され神奈川新聞の社会面の一角を飾るのではないかとの
戸惑いが去来しましたが、その場を離れ事なきを得ました。
ここまで来て気がつきました。
ここはもしかして、瑞穂埠頭 横浜ノース・ドックではないかと。
相模原補給廠に壊れた戦車を運んで修理するトラックや
輸送列車が往復していたところ。
そしてこの錆び付いた鉄橋は、米軍専用の貨物引き込み線の跡だと。
写真ではよく分かりませんが
レールの車輪と接する面はすっかり錆び付いていて
ここ最近列車が走った形跡はありません。
後で調べてみると昭和9年建造の、日本で最初の溶接鉄道橋だとか。
産業遺構として、どこかに移設保存してもらいたいものです。
草ぼうぼうで枝もせり出しております。
こうなるには少なくとも最後に列車が通過して
10年は経過しているのでは。
反対側には、いろんなドラマの部隊になった「バー スターダスト」
今度夜来てみよう。
「改 1957ー9」のプレートが。
1957年に改築されたんでしょう。
このあとベトナム戦争、湾岸戦争でも縁の下の力持ちをしたはず。
物騒な看板もありました。
日本製粉と米軍の工場関係者以外立ち入り禁止。
一企業と米軍の特別な関係とは何ぞや。
サイバー攻撃で日本製粉さん、決算を出しづらい状況が
続いていることを思い出しました。
小麦・穀物は戦略物資ですからね。
いざとなったら軍需優先契約をしているのかも。
脇には2002年製のソニートリニトロンテレビが朽ち果てておりました。
江戸時代から戦後の米軍基地まで
横浜東神奈川駅周辺は、今でも香ばしい昭和の残り香が
充満する地域でした。
再開発され無機質なタワーマンションだらけに
ならないで欲しいものです。
イベントに参加。
その足で、横浜卸売市場近くの「西湖亭」でランチ。
看板メニューの焼売、チャーシュー、餃子の他
ビール大瓶三本と紹興酒小瓶6本を痛飲。
まさに休日昼間の鯨飲馬食。
シメの汁なし油そば。
ちょっとカロリーを取り過ぎたので
外に出てそぞろ歩き開始。
横浜卸売市場から神奈川台場へ
一帯は運河と年季の入った建物が並ぶ。
某有名芸能人の実家海苔販売店も元気に営業中。
全国の海苔の名産地から取り寄せたものを
味付けにしたり素焼きで販売中だった。
意外だったのは、今でも東京湾で海苔が取れていて
一部そういう商品を置いているんだとか。
帰宅した後で、東京湾で取れた海苔を買っておけばよかったと少し後悔。
一坪あるか、ないかのバラック。
どんな商売をしていたか不明であるが
後から設置されたであろうガードレールのサビ具合からして
営業しなくなってから10年以上は経過しているだろうか。
今業績拡大中の「業務スーパー」の先輩格
プロの食材「ヨコカン」。
うまい棒を一本8円で売っていた。薄利多売で儲けようとしても
かなりの本数を売りさばかなければならん。
かなりの本数を売りさばかなければならん。
ヨコカンから少し北に住宅地の中を歩くと
神奈川台場の跡を発見。
台場があるということは
当然海防のための施設ということで
出来た時点ではこの界隈は海岸線
もしくは海中だったということになる。
マンションを作ろうとしてこういうのが地下から出てくると
とたんに開発が中断されるので厄介ですな。
界隈を切れた電線を持って徘徊されていた地元の紳士に
話しかけると、なかなかの味のある江戸弁で
「この辺は昔全部海だよ。あっちこちでタワマンの工事して
した掘り返してるよ。あっちのほういってみ」とのこと。
なかなかいい感じの路地。
昭和の香り充満。
必ずこういう路地にはネコがうずくまっています。
何でだろう。
勝海舟が作ったといわれる台場の石垣も
すっかり生活の中に溶け込んでおります。
どこまでが私有地でどこまでが国有地か
ここまでくれば分かりません。
三井倉庫と横浜ノース・ドックと米軍専用線鉄橋
また少し歩くと、これまた年季の入った三井倉庫。その昔、コーヒー豆を輸入しここで荷揚げして
全国各地に送り出していたとか。
今でも現役のようです。
昔の刑事物のドラマでは、追い詰められた悪役が
倉庫の中で打たれたり海に落ちたりするところでしょうか。
ああいうシーンは大体舞台は芝浦だったかな。
何やら視界が開けてきて
ねずみ色の軍用タグボートが甲羅干し中。
第7艦隊が戦時編制になったら総動員なんでしょう。
この直後、米軍ゲート越しに撮影しようとしたら
中にいる守衛から「Go Ahead!」的なジェスチャーをされました。
一瞬、拘束され神奈川新聞の社会面の一角を飾るのではないかとの
戸惑いが去来しましたが、その場を離れ事なきを得ました。
ここまで来て気がつきました。
ここはもしかして、瑞穂埠頭 横浜ノース・ドックではないかと。
相模原補給廠に壊れた戦車を運んで修理するトラックや
輸送列車が往復していたところ。
そしてこの錆び付いた鉄橋は、米軍専用の貨物引き込み線の跡だと。
写真ではよく分かりませんが
レールの車輪と接する面はすっかり錆び付いていて
ここ最近列車が走った形跡はありません。
後で調べてみると昭和9年建造の、日本で最初の溶接鉄道橋だとか。
産業遺構として、どこかに移設保存してもらいたいものです。
草ぼうぼうで枝もせり出しております。
こうなるには少なくとも最後に列車が通過して
10年は経過しているのでは。
反対側には、いろんなドラマの部隊になった「バー スターダスト」
今度夜来てみよう。
「改 1957ー9」のプレートが。
1957年に改築されたんでしょう。
このあとベトナム戦争、湾岸戦争でも縁の下の力持ちをしたはず。
物騒な看板もありました。
日本製粉と米軍の工場関係者以外立ち入り禁止。
一企業と米軍の特別な関係とは何ぞや。
サイバー攻撃で日本製粉さん、決算を出しづらい状況が
続いていることを思い出しました。
小麦・穀物は戦略物資ですからね。
いざとなったら軍需優先契約をしているのかも。
高嶋貨物線に合流する部分にもかなりの草が。
脇には2002年製のソニートリニトロンテレビが朽ち果てておりました。
江戸時代から戦後の米軍基地まで
横浜東神奈川駅周辺は、今でも香ばしい昭和の残り香が
充満する地域でした。
再開発され無機質なタワーマンションだらけに
ならないで欲しいものです。
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